ボーイの受験を応援してくださった皆様、本当にありがとうございます。
ご報告が遅くなりましたが、第一志望校に合格をいただくことができました。
もうダメだと落ち込んでいたボーイが、合格発表画面の見えた瞬間、文字通り飛び上がって、
「ウソでしょ?!」
「本当にそれ僕の番号??」
「まるで自分のことのように嬉しい!!」
と、踊り狂う有様でした。
以下、戦歴です。カッコ内は、持ち偏差値との差の推測値です。
1月前半:第四志望の某地方大学附属校(-15):特待合格
1月中盤:第三志望の埼玉校(-10):特待合格
1月後半:第二志望の千葉校(-5):出願とは別クラスでのスライド合格
2月某日:第一志望の東京校(±2):合格
実力相応校までしか受験しなかったと言うこともありますが、全戦全勝での受験終了となりました。
サピックスに通っていると、自分の持ち偏差値+5〜10 の学校にチャレンジするのは当然という雰囲気になりますが、友達との遊びやゲームを我慢して受験勉強に打ち込むこと自体が、うちのボーイにはビッグチャレンジだと思ったので、それ以上の負荷をかけることはやめました。だいたい、精神的に幼く、静かに書き物をすることも好きじゃないボーイには、格上の学校は向かないと感じます。
念願の第一志望校は、サピックスオープンや首都圏模試では 80% を出したこともある学校でしたが、今年の合格者最低点は例年よりも高く、過去問でもほとんど出したことのない点数でした。紙一重の合格だったかもと思います。ボーイの合格を祈ってくださった皆様の超常的なお力に感謝いたします。
サピックスではずっと下半分の梅ブロック(たまに竹)で、上には上がいることを常に思い知らされ続けてきたボーイですが、
君を熱望してくれる学校もある。
戦う場所を選べば勝てる。
努力はちゃんと力になっている。
ということを感じられる受験にすることができて、本当に幸いでした。
実は、こういった幅広い偏差値帯で志望校を選んだのには、もう一つ理由がありました。
(病気ネタが苦手な方は、ここでお帰りください)
ほっぺモチモチボーイが小学2年生の頃、私に悪性腫瘍が見つかりました。
早期の発見でしたが、手術と同時化学放射線療法で数ヶ月間入院することになりました。髪も抜けずにスルッと完了したため、一部の親しい友人や職場の上司以外は、私の長期の不在も「切迫早産入院からの残念な結果だったのかな」くらいに思ってたかもしれません。ボーイもいまだに「昔ママがなんかの病気で入院していた」としか知りません。
ボーイの成長を見届けられないかもしれない。
そう考えた時、せめて、良い学校で心穏やかに教育を受けられるように準備をしたいと思いました。
公立の中学校に入学したらきっと内申点は取れないであろう我が子の将来について入院期間中に色々と考えた結果、まずは中学受験させることを決意しました。
私の病気は、早期発見の場合 5年生存率が 80%ほどなので、実際はそんなに心配しなくても良かったのかもしれません。でも 「80%」という確率は、例えばこれを「合格率80%」と読み替えると「まぁ大丈夫だろうけど、絶対とはいえないし、併願プランは用意せねば」という感覚であることは、中受界隈の皆様にはご理解いただけると思います。
なんだかんだ、手術から4年経っても転移や再発はなく落ち着いていますが、志望校は、もし在学中に私が再入院してしまっても困難が少ない学校を選びました。
志望校の一校は大学附属校で、大学受験や通塾の心配なく、大学まで進学できます。
もう一校はパパの母校で、もし私に何かあってもパパのサポートが期待できました。
もう一校はとても面倒見がよい進学校で、道徳教育にも食事にも安心感を感じられる学校でした。
こうして厳選した志望校のうち、どこに決まってもOKでしたが、中でも特に家族全員が素敵だと感じた学校への進学が決まったことで、かなり気持ちが楽になりました(*´Д`)=3 受験が終わり、ボーイとマイクラで夢の豪邸を作って遊んでいたら、ボーイがいいお顔で
「僕、受験して本当によかった。ママは料理苦手なのに悪いけど、新しい学校でお弁当が要る日は、いつものママの適当弁当でいいからよろしくね」
と言ってきました。しゃーない。あと10年くらいなら、私も大丈夫でしょう。適当弁当でも、適当チャーハンでも、好きなものを作りましょう。せっかく食堂がある学校選んでるのに。
そんなわけで、我が家の中学受験は大団円という形で終了いたします。
ここまで見守ってくださった皆様、本当にありがとうございました!!
なお、ブログはまだ最終回ではなく、もうちっとだけ続くんじゃ。